パワースポットを訪れた時にするといいことは、水を飲むことです。もちろん水質検査をクリアした水に限りますが、その土地の水は独自のエネルギーを吸収しています。それを飲むとパワースポットとより深くつながることができます。また感謝の気持ちを持ちます。土地で信仰されている神仏や精霊に招き入れてもらった縁があります。無事に到着できたこと自体がありがたいことなので、些細な幸運でも感謝の気持ちを忘れないようにします。パワースポットが神社である場合は、参拝する前と帰り道、鳥居をくぐる前と後にきちんと挨拶します。特に鳥居は神様の領域と人間が暮らす俗世を隔てる場所なので、敬意を示さなければなりません。反対にダメな行為は、お願い事をすることです。基本的にパワースポットでは欲望を持ち込んではいけません。金運アップや彼氏が欲しいなどの自分勝手な欲望は、その場のエネルギーまで乱してしまいます。何かを叶えてもらうのではなく、純粋なパワーを受け取る目的で行きます。神社仏閣は感謝を捧げる場所なので、人間を超越した神仏に浅はかな欲望を伝えることはタブーとされます。本物のパワースポットは願い事をしなくても、訪れることで自然と運気がアップします。
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パワースポット:パワースポットへ行く前に知っておいてほしいこと
パワースポットへ行く前に、知っておかなければならないことは、どんなことでも叶えられるということではないということです。人によっては、パワースポットに行けば、どんなことでも良くなると思っている人がいます。スポットによって、もらえる力は異なるので、何でも良くなるということはありません。あと、天気も気にした方が良いです。パワースポットは屋外にあることが多いので、雨が降っていると、行けなくなってしまうところもあります。当日の天気はしっかりとチェックしておかなければなりません。あとは、余計な邪念を持っていると、パワーがもらえない場合があります。純粋な心で、パワーを感じとると良い効果を得ることができるのです。邪念があってしまうと、その心が邪魔をしてしまうので、良くないのです。パワースポットでパワーをもらえるのは、条件が揃った時になります。もちろんスポットによっては、どんな状況でも、もらえるところもあるのですが、そのようなところは、少ないのです。あらかじめしておかなければならないことは、あらかじめ、パワースポットのことを、調べておくことです。そうした努力が、良いパワーをもらえることにつながるのです。
パワースポット:三種の神器の一つ、草薙の剣を祀る「熱田神社」は何のパワースポット?
熱田神社は愛知県の名古屋市にあり日本でも有数の1900年もの歴史がある神社です。伊勢神宮と同等の社殿があるなど歴史だけでなく規模としても大きな神社ですが、何よりも有名なのが三種の神器である草薙の剣が奉納されているということです。
また歴史的にも多くの武士が参拝した神社でもあり、中でも織田信長が桶狭間の戦いの前に勝利を祈願したことは有名です。今でも熱田神社には織田信長が桶狭間に勝利したお礼として寄進した信長塀が今でも残っています。
こういったこともあって熱田神社は、出世や人間関係、決断力を上げるといった戦いや勝利に関係したパワースポットとしても有名です。
また楊貴妃の墓の一部だといわれている石があり、この石に三回水をかけてお願いをするとかなうといわれていることから、美容に効果があるパワースポットでもあります。
熱田神社は43というとてもたくさんのお宮があります。このお宮を回ることによってたくさんのパワーを得ることができるできるでしょう。
広大な敷地に神秘的な雰囲気のある熱田神社は、ただ行くだけでもパワーを分けてもらうことができますし、建物だけでなく草薙の剣をはじめとした展示品などもありますので、歴史を感じることができるパワースポットです。
パワースポット:言わずと知れた縁結びの最強パワースポット「出雲大社」はいつ行けばいい?
日本有数のパワースポットである出雲は昔から神々の国と言われています。その理由は神々が集まる場所だからです。日本では旧暦の10月を神無月と呼びます。その由来は神様が国に帰ってしまい不在になるため神の無い月と言うのです。しかし、その神が集まるのが出雲大社です。この月に様々な神様が日本中から集まり、いろいろな物事を決めることから、出雲では10月を神在月と呼びます。そして人の縁についてもこの場で決まると言われています。そのため、出雲大社に縁結びをするのなら10月がおすすめです。実際に10月は様々な祭事があります。旧暦の10月10日には神々を迎える神迎祭、その後一週間は神在祭、縁結大祭が行われます。この縁結大祭では人々の縁結びを祈る祝詞が奏上されます。予約をすれば参列することもできます。そしてそれらの祭事が終わると最後に神等去出祭という、神々が出雲を出ていくのをお送りする祭事が行われるのです。
このように旧暦の10月は日本中の神々が出雲大社に集まり、縁結びもここで決められると言われています。いつ行ってもパワースポットであることに変わりはありませんが、良縁を強く祈るのであれば神在月である10月は最適と言えます。
パワースポット:金運に効くパワースポット! 名古屋にある「徳川園」とは
徳川園は、名古屋城から東に3km離れたところにあります。
徳川家康の孫にあたる、徳川光友の隠居所であった大曽根お屋敷跡です。
徳川家の大名庭園であったところで、生い茂る木々やおおきな岩が立体的に
組み合わさっている、高低差のある庭園です。
徳川園の中には見ごたえのある湖や滝などが沢山あるのですが
パワースポットといわれるところは、庭園の中ではありません。
反対に、庭園の中には観光客が落としていく良くない「気」が貯まっている
とも言われているので観光するときは気を引き締める必要があります。
徳川園のパワースポットは、見過ごしがちな1本の「大木」です。
黒門前のタクシー乗り場の前にたっています。
金運が良くなるといわれているパワースポットは、華やかな庭園ではなく
ひっそりとたっている、1本の大木なのです。
この大木は、何百年という間、徳川家を守ってきたといわれています。
黒門前を通ることで運が開け、大木に触れることでさらにパワーアップするといわれています。
名古屋にいくと名古屋城に足を運ぶ方が多いので、こちらは盲点になりやすい場所です。
まさに知る人ぞ知る、穴場のパワースポットといえるでしょう。
誰よりも先に、金運パワーを吸収してしまいましょう。
パワースポット:皇居や伊勢神宮に並ぶパワースポット「日光東照宮」その秘密は”龍穴”
日光東照宮と言えば世界遺産にも登録されたパワースポットです。荘厳な雰囲気の漂う様相は、そこにいるだけでも気がみなぎる感じです。この日光東照宮は徳川家康公を祀る神社で、建設の際に風水や陰陽道を駆使して建てられました。その一つが場所選びです。この神社は強大な龍穴の上に建てられています。龍穴とは、大地のエネルギーがみなぎる場所のことです。日光東照宮は男体山からの力強いエネルギーと女峰山からの柔らかいエネルギーの両方が集まる場所となっています。そのため、生命力を高めて運気を上昇させるパワースポットとなっているのです。また、建設の方角にもこだわっています。本殿前の陽明門と唐銅鳥居を結んだ上空に北極星があり、その反対側に当時の江戸がくるように作られています。これは北辰の道と言われ、奥宮から発生したエネルギーがここを通って江戸に送られるというパワースポットでもあります。さらに、東照宮の中にある主要な建物を結ぶと北斗七星の形になるように作られており、存在する5千以上の全ての彫刻に意味が込められています。
このように大きな龍穴の上に風水や陰陽道を駆使して建てられているため、大地のエネルギーが集まるパワースポットとなっているのです。
堺 妙國寺:大蘇鉄と堺事件
堺のパワースポットといえば、仁徳稜(にんとくりょう)古墳や、方違(ほうちがい)神社、などなど、強力なパワースポットが存在しますが、まだ、そう遠くない過去に、その力を発揮した特別なパワースポットがあります。
その場所は、森鴎外の著書でも取り上げられたお寺。
妙國寺。
妙國寺の見どころは、樹齢1,100年の大蘇鉄(おおそてつ)。
大蘇鉄は国指定の天然記念物に指定されており、大蘇鉄を取り巻く石組と本堂の東側庭園が一体になって雄壮な趣を演出しています。
大蘇鉄を中心とした枯山水庭園は、全国に例をみない珍しい場所で、たくさんの人が訪れます。
そして、大蘇鉄には過去に幾つもの起死回生の出来事が…
大蘇鉄は何度も絶体絶命のピンチに遭遇してきました。
直近では第二次世界大戦の堺大空襲で堺が焼け野原になってしまった時のこと。
妙國寺の本堂は、焼け落ちてしまったそうです。
が、大蘇鉄は無事でした。
その後、堺は見事に復活を遂げ現在に至ります。
時代は遡り、大阪夏の陣。
豊臣軍は、徳川家康が妙國寺にいるという情報を手に入れ、堺に火を放ちます。
そのときも妙國寺の本堂は焼け落ちましたが、大蘇鉄は無事。
話しは少しそれますが、
明智光秀による『本能寺の変』が起こったとき、妙國寺には徳川家康が滞在しており、明智光秀は織田信長の次には当然、織田信長の同盟者、徳川家康の首を狙うという状況に。
京都から堺は狙えばすぐそこ。武功を狙う落武者や、褒美を狙う山賊からも徳川家康は狙われる身となってしまいました。
徳川家康は窮地に陥り、切腹をも覚悟したそうですが、妙國寺の僧侶等の手引きにより、『神君伊賀越え』を為し遂げ、無事三河へ戻ります。
その後、義理堅い徳川家康が妙國寺を大切に扱ったことから、大阪夏の陣で豊臣軍は、徳川家康が妙國寺にいると考えてしまったのかもしれませんね。
徳川軍ラッキー?‼
話しを戻しまして…
大蘇鉄のエピソードとして、最も有名なものは戦国時代最強の暴れ武将、織田信長との逸話です。
大蘇鉄は織田信長にたいへん気に入られ、ここ堺・妙國寺から、安土城に移されました。
しかしながら、その大蘇鉄が、「堺に帰りたい」と毎晩泣くので、信長が怒り、ついには切り倒されてしまいました。
すると蘇鉄は切り口から鮮血を流し、大蛇のごとく悶絶します。あまりの不思議な光景に、信長は恐れをなし、元の場所(堺・妙國寺)に大蘇鉄を返しました。
弱りきっていた大蘇鉄に、名僧『日こう』が読経したところ、大蘇鉄は、名僧にこのような、お願いをしました。
「私の根本に鉄分を埋めて下さい。そうすれば、私は蘇ります。蘇った報恩に、男には剣難からの守護を、女には子宝安産の守護を約束します。」
そして、その後、大蘇鉄は見事に蘇ります。
近代の妙國寺は、堺事件の舞台となった事でも有名です。
時は1868年(慶応4年)、堺港に許可なく上陸したフランス軍艦の兵に対して、堺の警護をしていた土佐藩士がフランス人兵の傍若無人な振る舞いに堪忍袋の緒を切らし、フランス人兵22名を殺傷してしまいます。
その後、理不尽な裁きにより、土佐藩士20名に切腹が命じられました。
しかしながら刑の当日、あまりの土佐藩士の勇ましい腹切りに、フランス人将校が恐れをなし、途中で刑が中止されるという前代未聞の出来事が起こります。
その事件は、五代友厚氏(「あさが来た」で知られる初代大阪商工会議所会頭)らが交渉にあたったそうですが、妙國寺の剣難守護を知って、交渉役たちは、妙國寺を選んだのかもしれませんね。
妙國寺の山門を出たところには「とさのさむらいはらきりのはか」と刻まれた碑が、今でも残っています。
当時は、土佐の侍たちの勇姿を称え、妙國寺に続く街道にはたくさんの花が並ぶ日が、幾日も続いたそうです。
国のため、藩の任務のために大義を貫いた藩士を、土佐の山内容堂公は、墓を建立し篤く弔ったそうです。
土佐藩士の大和魂を思うと、心の奥が熱くなりました。
堺 妙國寺:厄除招福、安産子宝の守護神となった大蘇鉄
妙國寺の開山として知られる日珖上人は、安土桃山時代に活躍した日蓮宗の僧侶で、もとは堺の豪商の家に生まれました。
そして、17歳で京都や奈良に遊学して仏教の教学を究め、若くして京都頂妙寺の3世を継いでいます。
また、当時の幕府でもっとも有力であった戦国武将の三好四兄弟のひとり、三好之康の帰依を受けており、新たな寺院を建立するためとして、寺領500石を、阿波から取り寄せたという巨大な蘇鉄の木とともに三好之康から寄進をうけています。
日珖上人は当時の日蓮宗を代表する学識であったため、のちに織田信長によって、浄土宗と日蓮宗との宗教論争である安土宗論の場に呼び出され、法難を受けるなどしています。
また、織田信長が妙國寺の大蘇鉄を気に入って安土城下に移植したものの、蘇鉄が寺に帰りたいと泣いたため、刀で斬りつけると鮮血を流し、あまりにも妖しすぎるので寺に返還されたという伝承も残っています。
これには後日談があり、日珖上人が返還された樹木に向かって法華経を唱えて供養したところ、上人の夢に竜神があらわれて、「鉄を供えれば樹勢は蘇るであろう。蘇れば厄除招福や安産子宝に効験のある寺の守護神になろうぞ。」と申したそうな。
ここから蘇鉄という名が生まれたといわれております。
今では妙國寺の大蘇鉄は、国の天然記念物になっています。
堺 妙國寺:宝物資料館
妙國寺は、戦国時代に有名な武将たちが訪れた歴史のある寺です。枯山水の庭園は非常に趣があり、大蘇鉄は天然記念物となっています。そして、この妙國寺には宝物資料館が隣接しています。
宝物資料館には、本阿弥光悦の法華経八巻、大正天皇皇太子時代の玉座、加藤清正が奉納した宝剣、ルソン壺など多数の貴重な品が展示されています。
それらの中でも、特に大きな存在感を発揮しているのが、堺事件で自害した土佐十一烈士の遺品である土佐藩士20名の遺髪なのです。20名分の遺髪がまとめて展示されていて、当時の過酷な状況を見てとることができます。また、土佐藩士が切腹の時に使用した三方には未だに当時の血が残っていて、生々しい様子を表しています。
フランスと土佐藩との争いで多数の死者が出ましたが、責任をとるために自ら名乗り出た土佐藩士の勇気と無念な気持ちに心打たれます。
このように、妙國寺の宝物資料館には、歴史の重みを感じさせるたくさんの資料が展示され、多くの観光客の目に触れているのです。当時の国同士の軋轢や残酷な命令などを改めて認識できる貴重な品が残っています。
これからも、様々な人の心を打つものとして貴重な品は勿論のこと、私たち日本人が、けっして忘れてはいけない先人への感謝の思いを大切に守っていかなければなりません。
堺 妙國寺:パワースポットの由縁
西暦1562年(織田信長と徳川家康が同盟を結んだ年。-清洲同盟)に日蓮宗の日珖が開いたとされるお寺が堺にあります。
その名は、妙國寺。

妙國寺の庭園には、国の天然記念物である樹齢1100年(平安時代生まれ?)を超える大蘇鉄が霊木として知られています。
そして、この大蘇鉄には、様々なエピソードがあり、妙國寺がパワースポットといわれる由縁となっております。

大蘇鉄のエピソードとして特に、有名なお話。
それは、戦国時代に織田信長が妙國寺に宿泊した折、蘇鉄のあまりの見事さに感嘆し、大蘇鉄を安土城に移植してしまったために起こった出来事です。
奇妙なことに、安土城に移植された大蘇鉄は、お寺に帰りたいとつぶやきはじめました。
怪しげな現象に怒った信長が蘇鉄を切り倒すよう家来に命じると、蘇鉄を切りつけた家来が血を吐いたり、大蘇鉄がのたうったり…
さすがの信長も、これには驚愕し、大蘇鉄を妙國寺に返しました。
戻った大蘇鉄は、庭園内に植えなおしたのですが、かなり弱っており…
そこで、大蘇鉄の回復を願い日珖が法華経を唱えると、翌早朝、年老いた龍が現れて日珖にこんな事を言ったそうです。
「鉄分を埋め込みなさい。そうすれば私が蘇生した時には、報恩として男性の剣難と女性の安産を守ろう」
というものでした。堺は当時から鍛冶屋のメッカであり、剣のかけら等の鉄屑は豊富です。
早速根元に鉄屑を埋めると大蘇鉄は元気になり、御堂を建てて、大蘇鉄は、宇賀徳正龍神として祀られることになりました。

そして大蘇鉄のご利益は?‼
大蘇鉄のご利益で、剣難から守られた大名として、有名なのが前厄を翌年に控えた徳川家康公です。
戦国時代の大クーデター『本能寺の変』が起こったとき、織田信長と同盟関係にあった徳川家康公は妙國寺に宿泊しており、「もうダメだ」と腹を切る覚悟をしたそうです。
しかしながら、家臣に説得され、妙國寺の僧の手引きで堺から脱出し、明智軍から逃れることに成功しました。

徳川家康公の有名な出来事『神君伊賀超え』は、大蘇鉄のある妙國寺から始まり、徳川家康公は九死に一生の剣難から救われました。
そして、265年にわたる天下太平の時代を築きます。
もしや…
安土城から妙國寺に大蘇鉄を返したのは徳川家康!?(その報恩で、徳川家康は剣難から守られたのでしょうか。)
もし、大蘇鉄が安土城から妙國寺に戻ってなければ、本能寺の変の時に、安土城とともに大蘇鉄もなくなっていたかもしれません。
ということは、ひょっとして…
大蘇鉄には剣難からの予知能力があるのかな?
それとも…
タダの運?
?
いずれにしても…
恐るべし、大蘇鉄パワーですね。

※追伸
徳川家康公にあやかって前厄の前年には、妙國寺の大蘇鉄をお参りするというのはいかがでしょうか?‼
金運、財運、健康運、長寿運、恋愛運、天下大平、家臣運、子孫運
などなど。
あらゆる運を手にした晩年の徳川家康公みたいに。
なれるかも‼
