徳川家康:徳川家康と徳川埋蔵金

徳川埋蔵金伝説の発端は、江戸時代が幕を下ろし、明治時代に移り変わる時、旧幕府軍が持っていたと思われる幕府御用金が全くなかったことで、どこかに隠してあるのではないかという騒ぎになり、当時の勘定奉行が隠遁していた場所を中心に、このあたりに徳川埋蔵金があると噂になり、至る所で発掘が行われるようになりました。それが伝説として今も語り継がれています。

徳川家康が残した軍用金をめぐっても、こうした徳川埋蔵金伝説はあります。1616年に徳川家康が亡くなった際、駿府城には多くの金銀がありました。その金銀は日光東照宮の建立に使われ、駿府城にあった金銀は跡形もなく消えたと言われていました。しかし、この際に実は裏帳簿があり、一部が残されているのではないかという説が言われたこともあります。他にも、江戸幕府自身が他の大名の埋蔵金を発掘し、それを保管していたのではないかという説まであります。江戸時代から本格的に貨幣経済がスタートし、米を貨幣に換えるなど、様々な形で貨幣が登場し、小判に含まれる金の含有量で貨幣の価値を決めるなどしてきました。こうした名残から、小判として最も価値の高かった徳川家康の時代のものなどは今でも取引される値段が高くなっています。

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