徳川家康:徳川家康を支えた徳川四天王、「酒井忠次」とは

徳川家康を支えた徳川四天王の筆頭格にいたのが酒井忠次です。家康がまだ竹千代といわれていいた幼少の頃から使えている近習で、徳川四天王のなかでは最年長です。晩年は徳川の宿老として徳川家康に仕えていました。
三方ヶ原の戦いで家康が信玄に大敗して浜松城に帰ってきた時には、太鼓を打ち鳴らして城兵の士気を鼓舞して追ってくる武田軍を追い払ったともいわれています。
また、長篠の戦いにおいては信長に奇襲攻撃をすることを進言して用いられるなど数多くの戦において武功を立てています。初期の徳川軍団にあって中心的な存在となって働いていたということがわかります。同じく宿老の石川数正が出奔してからは、徳川家臣団の筆頭ともいえる地位にあったといえるかもしれません。
ただ、家康が長男の信康を切腹させることとなった事件にも関わっていて、信長の詰問に応えたのがこの酒井忠次で、この詰問に対して信康に非があると答えたことで、信長が激怒して信康を切腹させるように言ったともいわれています。家康は晩年にこのことを根に持っていたのか、忠次の嫡男家次の所領が少ないことに抗議した忠次に対して家康は、お前も我が子が可愛いかと言ったといわれています。

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