妙國寺(堺市堺区)は樹齢1100年を超える大ソテツがあり、国指定の特別天然記念物であることからも多くの方がご存知なのではないでしょうか。
さて、その大ソテツの根元に鉄を埋めることでご利益があると古くから伝えられていますが、それは「夜泣きのソテツ」といわれる逸話に由来しています。
世は戦国時代、当時は大変珍しかった妙國寺(堺市堺区)にあるソテツを見初め、時の権力者である織田信長が安土城へとこのソテツを移植しました。しかし、このソテツが夜な夜な「堺に帰ろう、妙國寺に帰ろう」とすすり泣き、それに激怒した信長が部下にこのソテツを切りつけさせました。するとその切り口から鮮血のようなものが吹き出し、ソテツが大蛇のように身をくねらせ悶えた様子をみた信長はさすがに不気味に思い妙國寺に返還しました。傷だらけのソテツは今にも枯れそうだったため、日珖が蘇生のための読経を読み上げたところソテツが、「鉄分のものを与え、仏法の加護で蘇生すれば、男の剣難と女の安産を守ろう」と告げたことから、鉄屑を根元に埋めたところ蘇生したというものです。この逸話から、現在でも多くの方から安産祈願としても人気があります。他にも千利休をはじめとした妙國寺にゆかりのある歴史上の人物もいますし、興味がある方は一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
月別アーカイブ: 2016年6月
幕末に起こった堺事件ゆかりの寺「堺 妙國寺」とは
妙國寺(堺市堺区)は1562年に日蓮宗の僧侶、日珖が開いたとされています。
境内でひときわ目を引くのが、何本もの手を伸ばしたような枝ぶりのソテツの大木。樹齢1100年を超えると言われ、国の天然記念物に指定されています。
このソテツには不思議な言い伝えが。戦国時代、ソテツはとても珍しい植物でした。新しいものに目がない当時の天下人・織田信長もその噂を聞きつけ、ついには安土城に移植してしまいます。が、喜んだのも束の間、驚くことにソテツは毎晩「帰りたい」と泣き出したのです。信長は怒ってソテツを切り倒すように命じますが、なんと切り口からは鮮血が滴り、大蛇のように身をよじらせて抵抗。さすがの信長も気味悪がって、泣く泣く妙國寺に返還したといいます。
そんな大木が見守る妙國寺(堺市堺区)ですが、幕末に起きた「堺事件」の処刑の舞台としても知られています。
境事件は、1868年に攘夷を訴える土佐藩士によって、日本上陸後遊びまわっていたフランスの水兵11名が殺害された事件です。当時、開国派と攘夷派で揺れる日本にとって大きな出来事でした。フランス側は隊士全員を処罰するよう訴えましたが、朝ドラでもその活躍が取り上げられた大阪経済の父・五代友厚らの交渉により、20人の切腹で合意に至りました。この切腹が実施されたのがここ妙國寺でした。切腹の際、藩士は自分の腸を手でつかんでフランス側に叫びます。その様子に恐れをなし、フランス軍艦長は五代に対し死刑の中止を要求。結果、9名の命が救われました。この出来事は後に森鴎外が小説に著し、境内には供養塔も建てられています。
妙國寺は、そんな波乱を経て今も堺市の歴史を刻んでいます。
堺 妙國寺へのアクセス・料金は?
妙國寺(堺市堺区)は日蓮宗の本山で、元亀2年に本堂竣工、幾度もの災禍に見舞われ焼失、再建されており、現在の本堂は昭和48年に再建されたものです。
妙國寺(堺市堺区)へのアクセスは阪堺線妙国寺前駅から徒歩5分の場所に立地しており、拝観料金は大人400円、小
中学生は200円です。
妙國寺の大ソテツは樹齢1100年以上と言われ、国指定の天然記念物にも指定されており、このことからも通称・蘇鉄寺とも呼ばれています。また、このソテツには「夜泣きの蘇鉄」という逸話があります。戦国時代はソテツは大変珍しがられ時の権力者である織田信長がこれを見初めて安土城に移植したものの、毎夜毎夜ソテツが「堺へ帰りたい、妙國寺へ帰りたい」とすすり泣くため信長が部下にソテツを切り倒しを命じたところ、みな血を吐いて倒れたことから、さすがの信長も気味悪がり、妙國寺に返還したというものです。痛めつけられたソテツは今にも枯れそうだったものの、日珖による蘇生のための読経により見事に蘇ったというものです。こういった逸話やソテツの生命力の強さからも安産祈願としても人気があります。
他にも明治時代の「堺事件」のも部隊となった妙國寺、歴史に触れる機会として、近くに来た方は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
千利休、所縁の地「堺 妙國寺」とは
妙國寺(堺市堺区)は日蓮宗の寺で16世紀半ばに開山しました。境内には樹齢1100年を超える国指定の天然記念物のソテツがあります。このソテツには伝説があります。安土桃山時代に織田信長の希望で安土城に移植されましたが、毎晩寺が恋しいと泣き怒った信長に切り倒されそうになったものの切り口から血を流し苦しむソテツにおびえた信長が寺に返したというものです。日本で唯一のソテツを配植した枯山水庭園があり堺の名所となっています。妙國寺(堺市堺区)のこの庭園には堺の裕福な商家で倉庫業を生業とする納屋衆の家に生まれた千利休が寄贈したといわれる瓢箪型の手水鉢もあります。織田信長、豊臣秀吉に仕え、わび茶を完成させた茶人です。楽茶碗の制作や竹の花入れの使用や、草庵の茶室を普請するなどしています。茶の湯を総合芸術としてとらえ一期一会の充実した時間を過ごすことが出来るよう心を砕いたのです。このように天下の茶人となった千利休ですが妙國寺への手水鉢の寄進は故郷の堺に寄せる思いを推察できます。この寺は1868年に堺港に上陸したフランス兵が婦女子に乱暴しようとし起きた堺事件でフランス兵を殺傷した佐藩士が切腹をした場所でもあります。
堺 妙國寺には千利休が寄贈した六地蔵や手水鉢が!
妙國寺(堺市堺区)は、16世紀半ばに日蓮宗の学僧である日珖が開山したとされています。「本能寺の変」の際に、徳川家康が宿泊していた寺としても有名です。
境内には本堂や龍神堂、大蘇鉄や伝三重塔柱跡のほか、市の名勝として指定されている平庭林泉回遊式枯山水庭園があります。
大蘇鉄は樹齢1000年を超える国の天然記念物で、一旦は安土城に移植されたものが、毎晩のように帰りたいと泣いたことから織田信長によって斬られたものの、大蛇のごとく悶絶したことで恐れられ、妙國寺に戻されたという伝説もあります。
伝三重塔は焼失した後1658年に再興したものの、1945年の空襲により再び焼失しました。
敷地内にある蘇鉄の枯山水庭園は日本で唯一とされ、千利休からの寄贈品、瓢箪型手水鉢や六地蔵灯篭も置かれています。
1868年には、堺の警備をしていた土佐藩士が、傍若無人な振る舞いをしていた20人以上のフランス兵を斬りつけたことから問題となり、この地で切腹をした「堺事件」が起きたため、慰霊碑が建てられています。
妙國寺(堺市堺区)は江戸時代の頃から名所として有名な場所ですが、近年は市の指定文化財となるなど、復元整備も進み多くの観光客が訪れています。
堺 妙國寺にある”霊木ソテツ”の歴史とは
妙國寺(堺市堺区)には霊木ソテツと呼ばれるソテツの木があります。こちらの木には非常に興味深い歴史があります。昔、戦国時代の織田信長が、南の国から妙國寺(堺市堺区)にやって来た珍しいソテツに興味を持ち、権力でもって安土城へ移植しました。ところがそのソテツは、妙國寺に帰りたいと毎夜すすり泣き不気味がられました。その状況に怒った信長が部下にソテツを切らせたところ、切り口から鮮血が流れ出、大蛇のようにのたうったとのことです。あまりにも気味が悪いため、妙國寺に送り返しました。切られたソテツは衰弱して枯れそうな状態で返されたのですが、日珖上人が読経したところ回復したため、ここから「蘇鉄」と呼ばれるようになったと伝えられています。この言い伝えは、江戸後期に書かれた武勇伝である「英傑三国誌伝」にも登場しており、織田信長を震撼させたソテツの伝説として有名です。現在で樹齢1,100年と言われており、堺では唯一つの、国の天然記念物にも指定されています。また、この妙國寺は永禄5年建立の寺ですが、2度の大火をくぐり抜けた霊木ソテツとしても有名です。1度目は大阪夏の陣で、徳川家康妙國寺に有りと聞きつけた豊臣兵により火を放たれ、2度目は堺大空襲により寺が消失しています。現在の寺は再建されたものです。妙國寺(堺市堺区)と霊木ソテツにはこのような歴史があるのです。
見られるのはココだけ!ソテツの枯山水庭園がある堺 妙國寺
妙國寺(堺市堺区)は、1562年に日蓮宗の学僧日珖によって開かれたと伝えられる歴史のあるお寺です。
境内には、堺市の指定名勝となっている平庭林泉回遊式枯山水庭園があります。この庭園は、築山を築かずに、大ソテツを中心として造られた大変珍しいものです。情熱的な南国の風情と、日本のわびさびが融合した不思議な雰囲気が味わえます。
大ソテツは国の天然記念物に指定されているもので、樹齢1100年を超すと伝えられ、大小120数本の幹枝があり、周囲は17m、樹高は5mを超えています。このソテツには、信長に所望され安土城に移植された時に、「堺に帰りたい」と夜な夜な泣いたために切られ、血を流したために気味悪がられ、妙國寺(堺市堺区)に戻されたという伝説があります。その時、枯れそうになったものが、日珖上人の読経により復活したため、ソの字には「蘇る」の蘇が使われているということです。その後には火災などにもあいますが、生き残ったため、生命力の強さから、安産祈願などの御利益で人気を呼んでいます。
庭園には千利休に寄贈されたという「六地蔵灯篭」と「瓢箪型手水鉢」があり、趣を添えています。また、土佐十一列士の割腹跡という石碑や遺品などもあり、史跡としても見る価値があります。
堺 妙國寺にあるソテツは二度の大火を免れた厄除けのシンボル!
妙國寺(堺市堺区)にあるソテツは、厄除けのシンボルとして有名です。その訳は昔、二度の大火を免れた歴史があるためです。この妙國寺(堺市堺区)は堺の中心部に永禄5年に建立された寺です。当時の堺の権力者である、三好四兄弟の一人が日珖上人に土地を寄進し、上人の父である油屋常言の協力により建てられました。日蓮宗の代表的な寺院として、商人や戦国武将たちの信奉を受けて栄華を極めていましたが、慶長20年(1615年)の大阪夏の陣で、徳川家康妙國寺に有りと聞きつけた豊臣兵により火を放たれ、消失してしまいました。その後昭和20年(1945年)の戦災、堺大空襲により三重塔を始め、大部分の伽藍が焼失しましたが、ソテツは生き残りました。そのため、現在では厄除けのシンボルとして言い伝えられています。この大火の前にも伝説があり、昔信長が権力でもって安土城へ移植させたことがありましたが、妙國寺へ帰りたいと毎晩すすり泣くソテツに腹を立て切らせてみたものの、切断面から鮮血が出て気味悪がり、元の場所に返還したという話があります。弱った大木は日珖上人の読経によって蘇り、蘇鉄という名が付きました。現在では樹齢1100年と言われ、国の天然記念物に指定されています。
堺 妙國寺に伝わる「夜泣きのソテツ」伝説とは
妙國寺(堺市堺区)の大ソテツは樹齢1100年といわれ、堺市では唯一の天然記念物に指定されています。
江戸後期に「英傑三国誌伝」に、織田信長を震撼させたソテツの伝説として伝えられています。
大ソテツは戦国時代、遠い南の国から運ばれてきたといわれ、当時はとても珍しいものでした。
天下統一をはたした織田信長も大ソテツに大変惚れこんで、権力を持って安土城へ
大ソテツを移植させてしまいました。
伝説によると大ソテツは毎晩毎晩、堺へ帰りたいとすすり泣いたといわれています。
その状況に激怒した織田信長は部下に命令を下し大ソテツを切らせました。
すると切り口からは鮮血が流れ、悶絶しました。
織田信長は気味が悪くなり大ソテツを妙國寺に返したということです。
妙國寺は大阪夏の陣と、堺大空襲の2度の大火に見舞われ消失していますが大ソテツはこの2度の大火をくぐり生き残りました。
現在でも夜泣きのソテツは妙國寺(堺市堺区)にあり、いたるところに移植され妙國寺は別名ソテツ寺と呼ばれるようになりました。
現在でも年間を通じて白砂利に映える濃い緑を楽しむことが出来ます。
南国の風情と日本のお寺のわびさびが調和した不思議な風情を味わえる日本で唯一のお寺となりました。
堺 妙國寺の見どころは織田信長も惚れた「大ソテツ」!
戦国の世に名声をほしいままにした最強の武将と言えば織田信長。その彼でさえ恐れた1本の木の伝説があります。
天正7年信長は妙國寺(堺市堺区)にある大きなソテツの木を大変気に入り、安土城に移植させることを命じました。
その直後から不気味な現象が立て続けに起こります。
その木から「家に帰る」「家に帰りたい」という声が聞こえてくるのです。
しかし、それくらいで驚く信長ではありません。「ソテツごときがたわごとを」と激怒し木に切りつけるよう家臣に命じました。
そうすると驚いたことにその切り口から真っ赤な血が流れだし、幹や枝葉を激しく揺らしたというのです。
さすがの信長もその光景に恐れをなし妙國寺(堺市堺区)にその木を返却したと言われています。
その話を聞いた僧侶が木に向かって念仏を唱えると、彼の夢に人の顔に蛇の体という神様が現れ、「苦難を救い、人々に幸福を授けよ」と言ったのです。
そして妙國寺(堺市堺区)はその木を守護神として祀ったのです。
現在では大小100以上の幹枝を持つ大木に成長しました。しかし現在、樹勢に衰えが見え始め、その姿が悪化するのを防ぐためNPO法人の手によって再生事業が行われ、元気な姿を取り戻しつつあります。