徳川家康を支えた徳川四天王、「本多忠勝」とは

本多忠勝は三河国で本多忠高の長男として生まれ、幼い時から徳川家康に仕えてきました。徳川家康を支えた功臣として名高く、酒井忠次、榊原康政、井伊直政と並び徳川四天王と称され、徳川家康の側近として江戸幕府の樹立に貢献した武将です。
徳川四天王として本多忠勝にまつわる数々の武勇伝が残されています。元亀元年(1570年)の姉川の戦いでは家康本陣に迫る朝倉軍の豪傑である真柄十郎左衛門と一騎討ちをしその名声が世に広く知れ渡りました。天正元年(1573年)には長篠城攻めを行い武田軍を破り長篠城を獲得、また天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは16万という豊臣方の大軍の前に立ちはだかり川で馬の口を洗わせるという大胆な行動を取り豊臣方の進撃をためらわせました。このような大胆な行動力とその活躍により織田信長や豊臣秀吉からも一目置かれていました。これらの戦いの他にも慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いまで生涯において57回もの戦に参加しています。頭には何枚もの和紙を貼り合わせて黒い漆で塗り固めた兜に鹿の角をあしらった鹿角脇立兜をかぶり、その手には天下三名槍の一つにも数えられている刃の長さが43.8cmの大身槍である蜻蛉切を持ち戦い、生涯において戦いでかすり傷一つ負ったことがない最強の武将であったと伝えられています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です