徳川家康三方ヶ原戦役画像の徳川家康は頬杖をつき、憔悴しきった顔つきをしていて威厳のかけらもありません。
教科書でよく見る、徳川幕府を開いて自信に満ち溢れた肖像画しか見たことが無かったら衝撃を受けるでしょう。
頬はこけ眉は下がり口角は下がって歯を食いしばっている姿からは大きな後悔と悔しさが見て取れます。
徳川家康は、三方ヶ原の合戦で武田軍に敗れ命からがら敗走した時の姿を描かせましたが、これは別名「顰(しかみ)像」と呼ばれています。
武田方の挑発に乗り、多数の部下を失いながら浜松城に逃げ帰った際に絵師にその大失敗を描かせ、生涯の戒めとしてそばに置き頭に血が上って無理を通しそうになったときはこの絵を見て冷静さを取り戻していたと伝えられています。
また、恐怖のあまりに脱糞してしまったという逸話もあり家康にとってはその恐怖は忘れたくても忘れられない強烈な物だったでしょう。
この敗走は、後の伊賀越えと並んで徳川家康の人生最大の危機といっても過言ではありません。
後の戦いにおいて家康は織田信長とともに武田家の嫡男武田勝頼を自害に追い込み、武田家の滅亡に大きな働きをしました。
武田家の重臣を寝返らせ、用意周到に内部の力を削っていったので、徳川家康三方ヶ原戦役画像の効果は絶大でした。