徳川家康の死因については、一般的には鯛の天ぷらの食べ過ぎによって、食中毒を起こしたことが知られています。ところが、天ぷらの原因については不可解な点が多いため、現在では3つの説が提唱されています。天ぷらについては、1616年の当時には京都で流行していて、お抱えの豪商であった茶屋四郎次郎から伝えられたことで、徳川家康の興味を引くことになりました。実際に天ぷらを食べてから亡くなるまでには、3ヶ月もかかっているため、食中毒にしてはおかしいと考えられています。
もう一つの説は、晩年には胃癌の症状で体力が衰えていて、脾胃の調子も悪い状態で天ぷらを食べたために、悪影響が重なったという話があります。この説には確かな実証があり、徳川家康の侍医頭が触診で診察したときには、中焦の部分にしこりがあったという記録が残っています。このときには胃癌の症状が進んでいて、天ぷらを食べたとされる1616年の初頭には、免疫力もかなり弱っていた可能性があります。
3つ目には、徳川家康が大坂の陣や関が原の戦いで戦死して、その後は影武者を使っていたとする説があります。この説については都市伝説的な要素がありますが、謎が多いことも事実ですから、多くの歴史家が真実を追い求めてきました。