徳川家康:徳川家康を支えた徳川四天王、「井伊直政」とは

井伊直政は、徳川家康の家臣で最強と謳われた、「井伊の赤鬼」の異名を持つ安土桃山時代の武将です。

直政は、今川氏の家臣である井伊直親の長男として生まれます。しかし、2歳のとき、父の直親が讒言をもとに掛けられた疑いにより横死してしまいます。その後、新野親矩に保護され育つものの、その親矩が討死し、さらに今川氏に命を狙われたこともあって、出家し浄土寺に入りました。

13歳のころ、直政の母の嫁ぎ先である松下清景の養子となり、翌年、徳川家康に「一目でその大器を感じた」と評され、家臣となります。それから数年間で、武田家相手に数々の戦功をあげ、22歳のころ養母であった井伊直虎が亡くなったため、井伊家を継ぎました。

武田家が滅亡後、北条氏との講和交渉で外交手腕を発揮すると、家康の命により武田の兵法を受け継ぐ部隊を編成します。その部隊は、朱色の軍装だったことから「井伊の赤備え」と呼ばれ、兜についた角のような装飾と、長槍で相手をなぎ倒す勇猛さから直政は「井伊の赤鬼」と称され、恐れられました。

家康が上洛した後に臣従した秀吉からは、武力のみならず、政治手腕も高く評価され、28歳のころには徳川家臣筆頭の侍従となり、さらに多くの戦功をあげます。そして秀吉の死後に起こる政治抗争で豊臣家の武将との交渉を取りまとめ、家康の勢力を拡大します。

その手腕は、関が原の戦いの後、毛利輝元との講和、長宗我部盛親の謝罪、島津氏との和平交渉などの仲立ちで発揮されます。しかし直政は、江戸幕府が開いて間もない1602年に破傷風で死去しますが、井伊家は、徳川家から厚い信頼を受けて、江戸後期まで徳川家を支えることとなりました。

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