徳川家康は一般的にはのんびりとして、忍耐強い性格だったといわれています。ただ、これは信長、秀吉と続いて最終的に家康が長生きをしたことで天下を取る事が出来たということから来たものとも考えられます。実際の徳川家康はかなり短気だったともいわれています。というのは、三方ヶ原の戦いという武田信玄と戦った戦では信玄という経験も人望もある戦上手に対して、信玄よりも少ない兵で城から出て挑み大敗を喫するという失態を演じていたりします。爪を噛むという癖があったことも伝わっていて、かなり気が短かったのではないかともいわれています。
関ケ原の戦いにおいては、息子の秀忠軍の到着を待たずに戦闘となり、勝ちはしたものの危うく負ける寸前まで追い込まれたりしています。ただ、自分の健康へは意識が高かったことは確かで自分で薬を調合できるぐらいに医薬の道に通じていて自分で薬を調合して飲んでいたともいわれています。
徳川家康は幼少時代は人質となって今川家に送られていたり、信長との同盟時代には信長の命で自分の長男信康を切腹させるというようなことを耐えてきたというイメージがあるので、忍耐強く生きてきたのではないかと考えられているのでしょう。