幕末に起こった堺事件ゆかりの寺「堺 妙國寺」とは

妙國寺(堺市堺区)は1562年に日蓮宗の僧侶、日珖が開いたとされています。
境内でひときわ目を引くのが、何本もの手を伸ばしたような枝ぶりのソテツの大木。樹齢1100年を超えると言われ、国の天然記念物に指定されています。
このソテツには不思議な言い伝えが。戦国時代、ソテツはとても珍しい植物でした。新しいものに目がない当時の天下人・織田信長もその噂を聞きつけ、ついには安土城に移植してしまいます。が、喜んだのも束の間、驚くことにソテツは毎晩「帰りたい」と泣き出したのです。信長は怒ってソテツを切り倒すように命じますが、なんと切り口からは鮮血が滴り、大蛇のように身をよじらせて抵抗。さすがの信長も気味悪がって、泣く泣く妙國寺に返還したといいます。
そんな大木が見守る妙國寺(堺市堺区)ですが、幕末に起きた「堺事件」の処刑の舞台としても知られています。
境事件は、1868年に攘夷を訴える土佐藩士によって、日本上陸後遊びまわっていたフランスの水兵11名が殺害された事件です。当時、開国派と攘夷派で揺れる日本にとって大きな出来事でした。フランス側は隊士全員を処罰するよう訴えましたが、朝ドラでもその活躍が取り上げられた大阪経済の父・五代友厚らの交渉により、20人の切腹で合意に至りました。この切腹が実施されたのがここ妙國寺でした。切腹の際、藩士は自分の腸を手でつかんでフランス側に叫びます。その様子に恐れをなし、フランス軍艦長は五代に対し死刑の中止を要求。結果、9名の命が救われました。この出来事は後に森鴎外が小説に著し、境内には供養塔も建てられています。
妙國寺は、そんな波乱を経て今も堺市の歴史を刻んでいます。

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