西暦1562年(織田信長と徳川家康が同盟を結んだ年。-清洲同盟)に日蓮宗の日珖が開いたとされるお寺が堺にあります。
その名は、妙國寺。

妙國寺の庭園には、国の天然記念物である樹齢1100年(平安時代生まれ?)を超える大蘇鉄が霊木として知られています。
そして、この大蘇鉄には、様々なエピソードがあり、妙國寺がパワースポットといわれる由縁となっております。

大蘇鉄のエピソードとして特に、有名なお話。
それは、戦国時代に織田信長が妙國寺に宿泊した折、蘇鉄のあまりの見事さに感嘆し、大蘇鉄を安土城に移植してしまったために起こった出来事です。
奇妙なことに、安土城に移植された大蘇鉄は、お寺に帰りたいとつぶやきはじめました。
怪しげな現象に怒った信長が蘇鉄を切り倒すよう家来に命じると、蘇鉄を切りつけた家来が血を吐いたり、大蘇鉄がのたうったり…
さすがの信長も、これには驚愕し、大蘇鉄を妙國寺に返しました。
戻った大蘇鉄は、庭園内に植えなおしたのですが、かなり弱っており…
そこで、大蘇鉄の回復を願い日珖が法華経を唱えると、翌早朝、年老いた龍が現れて日珖にこんな事を言ったそうです。
「鉄分を埋め込みなさい。そうすれば私が蘇生した時には、報恩として男性の剣難と女性の安産を守ろう」
というものでした。堺は当時から鍛冶屋のメッカであり、剣のかけら等の鉄屑は豊富です。
早速根元に鉄屑を埋めると大蘇鉄は元気になり、御堂を建てて、大蘇鉄は、宇賀徳正龍神として祀られることになりました。

そして大蘇鉄のご利益は?‼
大蘇鉄のご利益で、剣難から守られた大名として、有名なのが前厄を翌年に控えた徳川家康公です。
戦国時代の大クーデター『本能寺の変』が起こったとき、織田信長と同盟関係にあった徳川家康公は妙國寺に宿泊しており、「もうダメだ」と腹を切る覚悟をしたそうです。
しかしながら、家臣に説得され、妙國寺の僧の手引きで堺から脱出し、明智軍から逃れることに成功しました。

徳川家康公の有名な出来事『神君伊賀超え』は、大蘇鉄のある妙國寺から始まり、徳川家康公は九死に一生の剣難から救われました。
そして、265年にわたる天下太平の時代を築きます。
もしや…
安土城から妙國寺に大蘇鉄を返したのは徳川家康!?(その報恩で、徳川家康は剣難から守られたのでしょうか。)
もし、大蘇鉄が安土城から妙國寺に戻ってなければ、本能寺の変の時に、安土城とともに大蘇鉄もなくなっていたかもしれません。
ということは、ひょっとして…
大蘇鉄には剣難からの予知能力があるのかな?
それとも…
タダの運?
?
いずれにしても…
恐るべし、大蘇鉄パワーですね。

※追伸
徳川家康公にあやかって前厄の前年には、妙國寺の大蘇鉄をお参りするというのはいかがでしょうか?‼
金運、財運、健康運、長寿運、恋愛運、天下大平、家臣運、子孫運
などなど。
あらゆる運を手にした晩年の徳川家康公みたいに。
なれるかも‼

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